第1回
排球部的晨练,实际上是从早上六点开始的。但是在那之前,我们这些一年级生不得不将活动室和球场完美地打扫一遍。所以一般来说,早上五点左右一年级的全体社员都必须到齐。这个时间,即使是在夏天,周围也有不少地方仍是昏暗的。冬天就更不必说了,那是简直就是漆黑一片呢。我们就这样揉着还没睡醒的眼睛来到学校。
放学后的社团活动结束的时间是晚上十点,之后做完收拾和打扫的工作,离开学校,可能就要将近深夜十二点了。睡眠时间完全得不到保证。对此老师们也是知道的,所以即使我们在上课的时候睡觉,他们也不会说什么。因为我们都是体育特长生的缘故,所以成绩什么的糟糕一些也无妨。虽然我们并没有被期待在比赛中取得胜利以提高学校的知名度。
所以放学后的社团活动开始的时候,我们的体力也多少能够恢复一些。但是早上的时候即使努力想打起精神,也还是难免一副困得快要倒下的样子。
可是呢,也没有办法去抱怨这种事情。活动室和球场上只要稍稍有一些污渍的话,一年级的全体队员就要四肢着地趴下,将屁股排成一排,学姐会手握专门打屁股用的球棒,使出全力来击打我们的屁股。
即使隔着体操裤,身为著名的王牌进攻球员的部长直接打下来,那种威力可绝不是半吊子的。啪!刺耳的声音响彻在体育馆的上空。但是我们也绝对没有因为这剧烈的痛苦而昏过去的时间。因为如果不迅速地喊出一句“谢谢您的教导”,第二下马上就会打下来。
即使只挨一下,红肿的屁股上那种隐隐的疼痛也会持续一整天的时间。而挨了两下球棒的日子,可能就连好好地走路都做不到了。所以我们不论睡了几个小时,都会拼死地好好完成打扫的任务。
但是呢,其实扫除也并没有明确的合格标准。实际上,很多时候球棒酷刑是否被执行,都只是取决于学姐们的心情罢了。纵然如此,我们还是仅仅是为了让挨球棒的概率降低些许,每天都拼命地进行着扫除工作。
将近早上六点的时候,直到学姐们到齐以前,我们不得不在体育馆的一角整齐地排成一列。站在那里,当学姐走入体育馆的时候,我们都会齐呼一声“早上好”,并且将头深深地低下去。
大部分的学姐或是无视我们,或者只是轻轻地甩一甩手表示回应。当然,并不会对我们说什么问候的话。作为一年级生,在排球部里面不过就是这种程度的存在吧。
六点整的时候,部长会发号施令让全员集合。三年级生会很开心地在离部长较近的位置坐下来。二年级生的话则会比较散漫地站在适当的位置。我们这些一年级生,只能在最后面笔直地站成一列,两臂举平,一动也不许动。
在这些精心设计过的情景里,我们被灌注着“不同学年之间存在着明确的上下关系”的道理。
而且呢,服装方面不同年级之前也有着明确的差别处理。三年级生穿着制服,二年级生则身着运动套衫。我们这些一年级生一年四季,都只允许穿那种上身短袖的、下身是灯笼裤的体操服。而且那种体操服还不允许在队员活动室里换上,而必须在教室里就换好再过来。而打扫队员活动室的工作,却全都是一年级生来完成的。
部长确认全员到齐之后,练习活动也是分学年来进行的。
早上练习的时候教练是不在的。我们这些一年级生会由作为干事的二年级生桂木学姐来指导。说是指导,其实呢,一年级生的练习活动是非常单调的,桂木学姐会非常非常严厉地训练我们。
桂木学姐不是通过体育生特别推荐才升学的,据说是从本校的初中通过普通的考试进入这所高中的。排球部的实力自然不是通过普通方式升学的人可以胜任的。实际上,桂木学姐的运动能力仅仅是中上水平吧,她并不是作为选手进入排球部的,而应该是直接作为干事加入的吧。
只是那种程度的实力的桂木学姐,其实对我们这些各个中学的王牌、仍保有相当的实力的体育特长生也根本提不出什么有效的建议(Advice)吧。
即使是这样,对于我们这些处在最底层的一年级生来说,身为二年级生的桂木学姐,也是负责知道我们的人,是绝对不可以忤逆的对象。
直到桂木学姐走过来之前,我们整齐地排成一列、一动也不许动地挺直站在那里。而桂木学姐呢,现在正在远离我们的地方同其他的干事很开心地聊着什么。不过这也是常有的事情了。
让在她看来是排球精英的我们一直等下去,对她来说,或许可以安慰一下她那因为才能有限而受挫的自豪感吧。其实不止是我们这样认为,其他部员也都有这种感觉。桂木学姐对我们做的令人不快的事情可远远不止是这样呢。
少顷,桂木学姐总算向站成一列的我们走了过来。
“请多多指教!”
我们齐声说道并一起鞠躬。
“嗯?这声音真是一点干劲也没有啊。你们是懒得说还是怎么了?”
这是桂木学姐经常挂在嘴边的话。我们的心里嘀咕着“够了吧”、感到厌烦极了。学姐随便找到我们的什么缺点,都会成为扇我们的耳光的口实。
“那、我来给迟钝、懒惰的你们打打气吧。”
桂木前辈动手扇了站在最右面的一年级生一个耳光。清亮的“啪”的一声响过。被打了的女孩子对桂木学姐大声说出感谢的话。
“非常感谢您的教导!”
我们不得感谢为我们这些懒惰者“打打气”的桂木学姐。一年级生门就这样从那边开始按顺序一个一个地挨着学姐的耳光。每个女孩子被打之后,感谢的话音都会回响在体育馆里。
桂木学姐走到我的面前了。她利用转动腰部的力量,毫不留情地抽了我一记耳光,尖锐的疼痛侵蚀着我的左半边脸。被打的地方变得灼热了起来。但是没有时间去考虑这些疼痛了。我马上大声喊出了感谢的话,然后深深低下了头。
剩下的一年级生也都挨完了耳光,全体会再次一起说一遍感谢的话。
全体都挨两次耳光的情形也是有过的。打还是不打其实也全都是看桂木学姐心情如何。我想,学姐也应该考虑到,若要让我们知道她怎么对待我们都是可以的,为了突出这一点,不是也应该有故意不打我们耳光的日子么?如果她真的这样做了,效果应该会很好吧。
不久之前还在各自的中学里作为王牌队员率领球队的我们,进入高中之后,突然一下子就沦落到了最下层的立场,被一个和新手没什么太大区别的、吊车尾的“选手”的干事如此残酷地“训练”。这屈辱真是令人难以承受。
好不容易,晨练终于开始了,但是其实我们这些一年级生是根本碰不到球的。我们要弯下腰,将手放在膝盖上,不得不一直保持这个姿势,呼喊口号。
“好球!”
“加油!”
“接得漂亮!”
在学姐们练习的时候,我们要一直连续喊出这些的内容,喊得嗓子都沙哑了。
时不常地,因为练习中有失误而异常烦躁的三年级生门,还会照着一直弯着腰的一年级生的屁股踹上一脚。在这之后,一年级生必须大声地喊出感谢的话。当然,牢骚、抱怨之类的是不能有的。
还有比这恶劣得多的事情,那就是桂木学姐。这个家伙心情不好的时候,就会拿出一只塑料拖鞋,练习期间连续不断地用它抽打我们的屁股。晨练时,那种“感谢的话”,总是不得不说上不知几十次呢。
我们起初只是觉得屁股很痛,打着打着就发展到了灼热难耐的感觉。曾经有过一次,因为屁股被用力拍打着,我的手就无意识地去挡一下,结果桂木学姐暴怒不已,整整一天都将火力集中在我的屁股上。我自己一个人一直承受那种冷酷无情的责打,最后竟忍不住哭了。那个时候,我的屁股已经出离灼热了,而是痛得快要失去知觉。
桂木学姐是生理期的时候会反应很大的那种体质。结果在她生理期期间,情绪会很坏,我们的屁股也总是红肿着的。
二年级生只有一部分被选为正式选手的队员,才会同三年级生一起练习。但也只有寥寥数人而已,大部分的二年级生都不得不去做捡球之类的杂活。
尽管如此,比起我们这些被迫喊着口号的一年级生来,做那种杂活也要有地位得多。我也想早些升上二年级啊。如果成为二年级生的话,就不至于几乎每天都挨耳光了,杂活也可以大部分都推给一年级生去做了,那样一来一定很轻松吧。
百般刁难人的晨练终于结束了,学姐们赶忙返回部员活动室去了。我们这些一年级生赶忙开始进行打扫的工作。就算用最快的速度做完,回到教室也换不成衣服了,班会也已经开始了。但是,如果不能好好地完成打扫工作的话,会发生非常非常恐怖的事情,所以我们都一点也不敢偷工减料。
曾经有过一次,晨练结束的时间实在是太迟了,我们这些一年级生只好暂时回教室去上课,把剩下的打扫工作留到午休的时候再做了。
可是呢,有的学姐会在中午的时候到部员活动室吃便当,我们早上把扫除做到一半就丢下不管的事情,就这样暴露了。不幸的是,部长也在那几位学姐之中。
部长怒不可遏,我们全体一年级生都被狠狠地抽了一记耳光,然后被命令跪坐着挨部长的痛骂。部长不仅仅是对我们中途抛下打扫工作而生气,似乎也因为我们穿着学校制服进行打扫而愤怒不已。
我们在部长的命令下,纷纷跑回教室,拿上体操服到厕所换上,又急急忙忙地跑会了部员活动室。部长正拿着那根打屁股用的球棒,等着我们。
我们跪坐着挨骂的时候就已经做好了挨球棒的觉悟了。可是呢,部员活动室实在太小了,不能让15名一年级生一齐趴好。午休时的体育馆里,要上下午的体育课的班级的学生,想必已经到了不少吧。我们正想着后面会怎样的时候,部长一言不发地走出了部员活动室。
我们这些一年级生也只好慌慌忙忙地跟了过去。一开始,我们还好奇着究竟部长会带我们去哪个没有人的地方呢,部长却只是一直朝着体育馆走去。我们也很快明白了那个目的地究竟是哪里。
那时我们还做着过于乐观的推想,以为部长不论如何应该不会当着普通学生的面用球棒打我们。所以呢,我们都以为那些要下一节体育课的学生应该还没有来体育馆吧。可是,进入体育馆之后,我们都不禁愕然失色。
高二的那个班级的学生们,已经在为体操垫运动做准备工作了。部长对此全然不在意,大声命令我们排成一排、挨着墙趴好。
(つづく)
原文:
バレー部の朝練は、本当は朝6時からなんですが、それまでに私達1年生は部室とバレーコートの掃除とを完璧にしておかないといけないので、朝5時には1年生全員が揃います。夏でも辺りはまだ暗い時間帯です。冬だと本当に真っ暗です。私達は眠い目を擦りながら登校します。
放課後の部活が終わるのが夜10時で、後片付けと掃除を終えて下校できるのは深夜12時近くにもなるので、まともに睡眠時間を確保できません。先生達はそのことを知っているので、授業中に眠っていても何も言いません。私達は皆スポーツ特待生なので、成績なんて悪くてもいいんです。試合に勝って学校の知名度を上げる事しか期待されていないからです。
だから放課後の部活が始まる頃には体力も多少は回復しているのですが、朝は気を抜けば倒れそうなくらい眠いです。
けれどもそんなことは言っていられません。少しでも部室やバレーコートが汚れていたりしたら、1年生は全員四つん這いになってお尻を並べて一人一発ずつ先輩に金属バットで思いっきりお尻を打たれてしまいます。
ブルマの上からとはいえ、エースアタッカーとして名高いキャプテンが直々にバットを握るので、その威力は半端なものではありません。バァンという強烈な音が体育館に響き渡りますほどです。でも激痛に悶絶している暇はありません。すぐに大声で「ありがとうございます!」と言わないと、二発目が飛んでくるからです。
一発でも一日中お尻が赤く腫れ上がって鈍痛がするというのに、二発も連続で打たれた日には、まともに歩けなくなります。だから私達はどれだけ眠くても必死になって掃除をします。
しかし明確な合格基準というものはなく、実際には先輩達の機嫌によってケツバットの実施が決まったりしていました。それでも私達は、少しでもケツバットの確率が下がることを信じて、掃除をがんばります。
朝6時近くになると、私達は先輩達が揃うまで体育館の隅で一列に整列していなければなりません。そこで先輩が体育館に入ってくる度に、私達は大声で「おはようございます!」と言って一斉に深々と頭を下げます。
大半の先輩は無視するか軽く手を上げて応えるかぐらいしかしないのですが、もちろん文句を言うことはできません。1年生というのはバレー部ではその程度の存在でしかないのです。
6時丁度に部長は部員全員を集合させます。3年生は部長の近くに適当に座って楽にしています。2年生も適当な場所に散らばっているのですが、座ったりせずに立ったまま部長の話を聞きます。私達1年生は最後尾で横一列に並んで、手を横に伸ばした直立不動です。
こういった細かい場面で、学年が一つ違えば明確な上下関係があることを心に叩き込まれるのです。
そもそも服装からして明確に差別化されています。3年生はユニホームで、2年生はジャージ、私達1年生は夏でも冬でも半袖の体操服にブルマしか着ることは許されません。 その体操服に着替えるのにも、部室を使うことは許されず、私達は一々教室で着替えなければなりません。部室というのは、1年生にとっては掃除をする場所でしかないのです。
部長が全員揃ったことを確認すると、練習メニューを伝えて学年ごとに分かれます。
朝練の時は監督がいないので、私達1年生には、マネージャーの2年生の桂木先輩が指導します。指導といっても、1年生の練習メニューなんて単純なものしかないので、桂木先輩は私達をシゴくだけです。
桂木先輩はスポーツ推薦が取れずに一般受験でウチの中学に入ってきたそうです。ウチのバレー部は一般受験の生徒は相手にしていないし、桂木先輩の運動能力も精々中の上というところで、選手としては入部できず仕方なくマネージャーとして入ったらしいです。
その程度の実力しかない桂木先輩に、各中学校のエースとして実績を残している特待生の私達に、まともなアドバイスなんて出来るはずがないのです。
それでも私達は最下層の1年生で、桂木先輩は2年生で、しかも私達の指導係りです。絶対に逆らうことはできません。
直立不動で横一列に整列している私達は、桂木先輩が近づいてくるまで動くことは許されていません。その桂木先輩は、私達とは離れた所で他のマネージャーと楽しそうにお喋りしています。これはいつものことです。
多分、バレーエリートの私達に気を付けをさせたまま待たせることによって、才能の壁に挫折した自分のプライドを慰めているのではないかと思います。私だけじゃなく、部員は皆そう思っています。桂木先輩が私達にする嫌がらせはまだまだあるからです。
しばらくして、桂木先輩はようやく並んでいる私達の前まで来ました。
「よろしくお願いします!」
私達は声を揃えて一斉にお辞儀をします。
「んー? やる気なさそうな声だねえ。怠けてんの? あんたたち」
そんなことを言って、桂木先輩はいつも言い掛かりを付けてきます。私達は内心で《またか》と思いウンザリしました。桂木先輩はよく適当に難癖をつけて、私達をビンタする口実にするのです。
「あたしがグズで怠け者のあんたたちに気合入れてやるよ」
桂木先輩が右端に立っている1年生の頬を平手で叩きました。バシンとかなり大きな音が鳴ります。叩かれた子は桂木先輩に大きな声でお礼を言います。
「ありがとうございます!」
怠け者の私達に気合を入れてくれた桂木先輩に感謝しなければいけない、ということです。端から順に次々と1年生がビンタされていきます。その度に感謝の言葉が体育館内に響き渡ります。
桂木先輩が私の前に来ました。腰の回転を利用した手加減のない平手打ちに、鋭い痛みが私の左頬を襲います。叩かれた箇所がじーんと熱くなりました。けど痛がっている暇はありません。私はすぐに大きな声でお礼を言い、深々と頭を下げました。
残りの一年生へのビンタが終わると、もう一度全員で一斉にお礼の言葉を述べて、お辞儀します。
この全員ビンタは二日に一回の割合で行われます。やるかどうかは桂木先輩の気分次第です。桂木先輩の考え一つで私達をどうにでもできるという、そういう事実を突きつけたいがために、わざとビンタしない日を作っているのではないかと私は思います。もしそうだとしたら、それは確かに効果があるでしょう。
少し前まではそれぞれの中学校でエースとして部を率いていた私達は、高校では一転して最下層の立場になって、素人と大差ない選手崩れのマネージャーにシゴかれることが堪らなく屈辱でした。
やっと朝練が始まっても、私達1年生はボールに触ることなんてできません。私達は中腰になり膝に手を置いて、その姿勢のままずっと声出しをしていなければならないのです。
「ナイスサーブ!」
「黒中ファイトーっ!」
「ナイスレシーブ!」
こんなことを喉を嗄らして叫び続けるのです。先輩達が練習している間、ずーっとです。
時々、練習でミスをした3年生が苛立ちまぎれに、中腰になっている1年生のお尻を蹴り上げたりします。その後は必ずお礼の言葉を大声で言わなければなりません。当然私達は文句を言えません。
もっと最悪なのは、桂木先輩です。この人は機嫌の悪い日にはスリッパを持ち出して、朝練の間中、私達のお尻を叩き続けたりするんです。お礼の言葉も、朝練の間に何十回も言わなければなりません。
私達のお尻は《痛い》を通り越して《熱い》という感じになります。力いっぱい叩いてくるので、私は無意識に手でお尻を庇ってしまったことがあったのですが、桂木先輩は怒り狂ってその日一日中、私を集中的に叩きました。私は自分一人だけ叩かれているのが情けなくて泣いてしまいました。お尻の方は、《熱い》をさらに通り越して感覚がなくなっていました。
桂木先輩は生理が重いタイプなので、生理期間中はずっと機嫌が悪くて、私達1年生のお尻は桂木先輩の生理中、常時赤く腫れ上がっています。
2年生は一部レギュラーに選ばれている人だけは、3年生に混じって練習することが出来ます。けどそんな人はほんの数人だけで、大半の二年生はボール拾いなど雑用をしなければなりません。
とはいえ、声出しをしている私達1年生よりはずっとマシだと思います。私も早く2年生になりたいです。2年生になれば、毎日のようにビンタされることもありませんし、雑用もほとんど1年生がやるので随分と楽になるんです。
そんなこんなで朝練が終わると、先輩達はさっさと部室に引き上げて行きます。私達1年生は急いで掃除に取り掛かります。早く片付けて教室に戻って着替えないと、クラスの朝のホームルームが始まってしまいます。でも適当に掃除を終わらせると後で大変なことになるので、手を抜くことはできません。
以前に一度、朝練が終わるのが遅くてあまりにも時間が押していたので、私達1年生はとりあえず教室に戻って、残りの掃除はこっそり昼休みにしようとしたことがありました。
ところが先輩の中にはお弁当を部室で食べる人達がいて、掃除を途中で切り上げたのがバレてしまいました。運の悪いことにその中に部長がいたんです。
部長は烈火の如く怒り狂って、私達1年生全員に強烈なビンタを見舞った後、部室に正座させて激しい罵声を浴びせました。部長は掃除を途中で辞めた事だけでなく、制服姿のままで掃除の続きをしようとしたことにも怒っているようでした。
私達は部長に言われて教室に走って戻り、体操服を取ってトイレで着替えて、急いで部室に戻りました。部長は金属バットを持って待っていました。
私達は正座させられていた時からケツバットは覚悟していました。しかし部室で1年生15人全員が四つん這いになるには、いくらなんでも狭すぎます。お昼休みの体育館は、次に体育の授業で使うクラスの人が既にいるはずです。どうするんだろうと思っていたら、部長は無言で部室を出て行きました。
私達1年生は慌てて後を追います。最初はどこか人気のない所に行くのかと思っていましたが、部長は一直線に体育館に向かっていったので、すぐに目的地は分かりました。
私達にはまだ、いくらなんでも一般の生徒がいる目の前でケツバットはしないだろうという、そんな甘い考えがありました。だから私達は、次の時間に体育館を使うクラスはないんだなと、そう思っていました。けれど体育館の中に入ったとき私達は愕然とします。
2年生のクラスの人達がマット運動の準備をしていたんです。部長はそんなことは全く気にせず、私達に壁際に並んで四つん這いになれと大声で命令しました。
体育の準備をしていた2年生達は何事かとこっちを窺います。私達は恥ずかしくてみんな顔を真っ赤にしていました。それでも言う通りにするしか道はなく、いつものように並んで一斉に四つん這いになります。
2年生達が私達を見て笑っています。大体これから何が行われるのか予想が着いたのでしょう。
「先輩、何してるんですか?」
と、2年生の中には面白がって部長に話しかける人がいました。
「掃除をサボったこの馬鹿1年生に気合入れてやるんだよ」
バレー部員の下級生には尊大で高圧的な物言いをする部長ですが、部と関係ない下級生には割とまともな喋り方をします。なんか私達が一般の生徒よりも格下のようで、良い気はしません。
こっちを指差しながら笑い合って馬鹿にしている2年生なんかもいて、情けないやら悔しいやらで泣きそうになります。
けどこの日の屈辱はこんなものでは終わりませんでした。
部長が四つん這いになって並んでいる私達1年生のブルマと下着を、お尻がほとんど丸見えになる位置まで下げてしまったのです。性器がぎりぎり見えない所までしか下げられていないので、正確には半ケツに近いかもしれませんが、思春期真っ盛りの私達は恥ずかしくて仕方ありませんでした。
全員のブルマと下着が下げられて、15個のお尻がずらりと並びます。
体育の準備をしていた2年生達からは「やだぁー」などと同情しているのか面白がっているのかよく分からない声だけでなく、「お尻丸出しになってるよー」といった煽りも聞こえてきます。
2年生達は他人事のように騒いでいましたが、部長がバットを振り下ろして、辺りにバァンッと豪快な音が響き渡ると、さすがに2年生達はあまりの強烈な暴力に言葉を失いました。
「ありがとうございます!」
一瞬の静寂の後、叩かれた子が大声でお礼の言葉を叫びます。
それが合図だったかのように、2年生達はあちらこちらで話し始めます。さっきとは違い、大きな声で騒いでるわけではないので、私と2年生達とはいくらか離れているために何を話しているのかは分かりませんでした。
どうせ、「ここまでやるの?」とか「痛そうだよね」とかだと思いますけど。
何人目かのお尻にバットが叩きつけられる頃には、もう2年生達はこの光景になれてしまい、また騒ぎ出しました。部長のフルスイングに合わせて、「ナイスバッティンー!」などと言って悪ノリする人まで出てきます。
私はあまりの惨めさに泣きそうになりました。けどそんなことを言っている場合ではありません。部長が私の後ろに立ったのです。私は強く拳を握り締めてケツバットに備えました。ブンッと風を切る音がした直後、私のお尻が骨にまで響く重い衝撃に襲われます。あまりの威力にお尻が下がって上半身が前に押し出されました。
「んはっ」
早くお礼の言葉を絶叫しなければいけないのですが、呼吸が詰まります。けど今まではブルマの上からだったとはいえ、ケツバットはこれが初めてではありません。
「ありがとうございます!」
私は強引に大きく息を吸って叫びました。
部長はダメ出しをすることなく、次の子のケツバットに移りました。
私は一安心しましたが、お尻は熱を持って痛みを訴えてきます。どくんどくんと血液の動きに合わせて痛覚が刺激されます。緊張からか衝撃からか、心臓が活発に動いているので余計に痛く感じます。痛すぎて下半身にはほとんど力が入りません。
並んでいる私達のお尻が全て赤く腫れ上がると、部長はなんと最初に叩いた子に戻って、またバットを打ち付け始めました。
私達は戦慄しました。一発と二発では苦痛がまるで違うんです。二発目なんて入部初日以来ですが、あの時は一週間痛みが続きました。
私達は泣き叫びたいのを懸命に堪えて、歯を食い縛って二発目を堪えました。その後にくる断続的な痛みには、荒い息を吐きながら必死で我慢していました。
「よし、終わり!」
部長の言葉に私達は心底安堵します。
第2回
1年生の誰もが、もしかしたら三発目があるかも知れないと恐れていたからです。
「えー? もう終わりですか?」
「もっとお仕置きしてあげたほうがいいと思いまーす」
野次馬の2年生達が口々に勝手なことを言っています。死んで下さい。
「ありがとうございました!」
部長の気が変わらない内に、私達1年生は声を合わせて感謝の言葉を叫びました。 気が済んだ部長はさっさと帰っていきます。
既にお昼休みも終わりそうな時間になっていたので、私達も早く教室に戻らないとマズイのですが、お尻が痛くて思うように動けません。部長がいなくなったのに四つん這いのままでお尻を丸出しにして並んでいる私達を、2年生達が笑います。
恥ずかしいし、いつまでもこのままという訳にはいきません。私達は気力を振り絞って上体を起こし、膝立ちの姿勢になりました。
熱くジンジンと痛むお尻を恐る恐る振り返って見ると、普段の二割増し位に腫れ上がっていました。この上に下着とブルマを履くのは途轍もない苦痛を伴うことは明らかです。けれども一刻も早くこの場を離れたい私達は、勇気を出して一気に下着とブルマを履きました。
「いったぁぁ」
お尻に下着が触れると、飛び上がりそうになるほどの鋭い痛みが走りました。けど一旦履いてしまえばなんとか我慢できそうです。
なかなか履けずにいる子を手伝ったりして、全員がお尻を仕舞うことができた私達はそそくさと体育館を出て行きました。
皆なるべく下着がお尻に擦れないようにへっぴり腰だったのが面白かったらしく、2年生達は最後に大笑いしていました。
その後、私達は保健室で休ませてもらいました。
保健室の先生は手馴れたもので、1年生15人を5つのベッドに3人ずつうつ伏せに寝かせて、次々にお尻を剥き出しにして、薬を塗ってくれました。
そのまま放課後になるまで寝ていたら、腫れが少し引いてきてなんとかまともに動けるようになったので、私達は保健の先生にお礼を言って部活に行きました。
掃除を後回しにしただけでこれほどの制裁があるのです。とにかく部長は私達バレー部1年生にとって恐ろしい存在でした。
放課後の部活では私達1年生も練習に参加することができます。ただし、ボールに触ることはできません。1年生はひたすら基礎体力を付けるのみです。
私達はもちろん練習には一生懸命取り組んでいます。手を抜くと先輩達に何をされるか分からないし、なにより、たとえシゴキでも自分達の力になるからです。
けれど桂木先輩は、それでも私達に難癖をつけてくることがよくあります。
「あんたたち何怠けてんの!? 全員整列!」
怠けた覚えは全くないのですが、私達は文句を言えずに練習を中断して、桂木先輩の前で横一列になって直立不動になります。こういう時は声を揃えて自分達からビンタを頼まなくてはいけません。
「気合入れお願いします!」
桂木先輩が次々に私達の頬を赤く染めていきます。この後は大抵、練習メニューを倍にされたりするんですが、当然私達は抗議なんてできずに従うしかありません。まだそれだけならマシな方です。
桂木先輩の機嫌がもっと悪い日には、普段よりも腰を落として膝を九十度にした中腰の姿勢で声出しをさせられたりしたことがあります。
完全に空気椅子の状態なので、どんなに鍛えていても長時間耐えることなんてできるはずないのですが、それでも倒れ込むと髪を掴まれて引き上げられたりしました。そしてスリッパで嫌というほどお尻を叩かれて、空気椅子を再開させられました。けど体力は既に尽きているのですぐに倒れてしまいます。そうなるとまた髪を掴まれての繰り返しです。
そこからは地獄でした。最後には私達1年生が泣きながら許しを請うようになり、見かねた3年の先輩に止めてもらってやっと終わりになりました。ある意味ケツバットよりも辛かったです。
具体的な練習メニューは監督が決めるのですが、桂木先輩の気分次第でメニューを増やしたりするので、私達の練習は過酷を極めます。
まずは腕立てや腹筋などを横一列に並んで一斉に行います。
限界ギリギリのアップテンポで一人十回ずつ端から順に数を数えていきます。
一人が数え終わると10秒休憩できるのですが、きっちり10秒後に次の子が数を数え始めます。
1年生は15人いるわけで、これが15セット続きます。動きについていけない者は桂木先輩から容赦なく竹刀でお尻を叩かれて罵倒を浴びせられます。力尽きて倒れこんだりするとそれだけでは済まず、脱落者は列から引っ張り出されて何回もお尻を叩かれた後、部活が終わるまで中腰になって声出しをさせられます。
中学では実績を残してきた私達でも、さすがに入部して間もない頃は全員が列からい引っ張り出されていました。
四月の終わりごろになるとほとんど脱落者はいなくなりましたけど、その頃には1年生の部員の数が半減してしまいました。最初は30人近くいたんです。
辞めていった人達は殆ど学費免除の特待生組ではなく、入学試験を免除されただけの推薦組なので、バレー部を辞めても勉強を頑張れば学校に残ることができます。でも大半は名立たる進学校であるウチの学校の勉強についていけず、留年した挙句に自主退学していきます。
学費免除の特待生組でバレー部を辞めてしまった子が一人いたのですが、その子はたった一週間後に自主退学しました。部を辞めてからの一週間、別の部の特待生からの脱落者や暴力など問題を起こした生徒が集められた落ちこぼれクラスに入れられ、毎日教師に罵倒や体罰をされたそうです。部活のシゴきが耐えられなくて辞めたのに、逃げ出した先でも部活ほど酷くはないとはいえ、同じ様なことをされたのでは堪りません。強制的に退学させられたようなものでした。
しかしバレー部を辞めずに3年生になるまで頑張れば、レギュラーはもちろん補欠まで有名大学や実業団から声が掛かります。
県内の中学生エースをかき集めてオールスター状態になっているウチのバレー部は、女子高校バレー界において県下敵なしと謳われる名門中の名門です。全国大会でも毎年必ず優勝候補の筆頭に挙げられ、また実際に数え切れないほどの優勝経験があります。全国大会の決勝戦まで進むと、テレビ中継なんかがあったりして、レギュラーは地元ではちょっとした有名人です。部長なんて何回かインタビューされたりして、全国にファンがいたりします。
3年になるまで我慢すれば人生薔薇色といった感じなんですが、途中で退部すれば高校中退という落差には、恐ろしさすら感じます。それでも退部していく1年生が後を絶たなかったのは、やはり部内のシゴキが常軌を逸していたからでしょう。
インタビューに笑顔で応えている部長が、部活では鬼の形相で下級生をシゴいているなんて、きっと校外の人は想像もしていないと思います。
しかも、今は名声を欲しいままにしている現3年生達も、1年生の頃は当時の先輩にお尻を赤く染められて惨めな思いをしていた、なんて言っても信じる人がいるでしょうか。まあ私も、偉そうにしている部長がほんの二年前には、四つん這いになってケツバットされていたなんて、夏休みの合宿に行くまで想像もできませんでしたけれど……。
开始翻了。比我想象得难一些。原文中间有一句话逻辑有点不通,被我加了一个关联词搪塞过去了。懂日文的朋友直接看原文吧。偶肯定译错了不少的方。
5天过去了,好像也没什么人有兴趣嘛。考虑弃坑。
新更新一段还没有出现spank的情节,但是下一段就会有了。在这里先买个关子。顺便说一句。这个故事还有“合宿篇”,不过有点狠,不合胃口。所以也不打算翻了。
有兴趣的~!!楼主加油啊~!!
这是楼主的第二篇译文了吧,唉唉翻译很费脑子,您真是辛苦了,鞠躬致谢!
darkjf 发表于 2010-11-23 23:02
应该是第五篇吧。独生子女、叔母家(坑)、体罚之馆、二年级,然后这是第五篇。
最近忙。而且在补习日语中,所以可能更新得慢一些。
“ナイスレシーブ(翻译不能)!”
其實就只是 Nice Receive(接得好) 而已 XD
Coshower 发表于 2010-12-27 19:35
原来如此。非常感谢的说。
最近懒得填坑。怕是要再拖一拖了。
我近期会填了这个坑的。
更新了一点,明天继续。
最近或许会开始更新吧……
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